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相良義陽_25【中篇・裏切りの波紋】

日向制覇のために肥沃な穀倉地帯・真幸院(現・えびの市)は、有力大名たちの標的となった。
その真幸院を領地とした北原家の家督は、伊東家の傀儡当主(馬関田氏)から島津家の傀儡当主(北原兼親)へと目まぐるしく変化する。

はじめ相良義陽は年来の友好関係もあって、島津氏(本家+分家の北郷)と北原兼親支援のために盟約を交わしていた。
もちろん、北原の家督乗っ取りを企んだ伊東義祐に対抗するためです。
ところが義陽は島津との盟約を破り、伊東義祐と組んでしまう。

飫肥城の領有を巡って島津と攻防を繰り返している伊東義祐。
その最終目的は、飫肥城だけじゃなかったっぽい。

人物・伊東義祐
エスパーでもベンジャミンでも食卓でもない、伊東義祐イメージ画像^^/

「伊東の野心」について、傍証というかキナ臭い話がある。

時は1560年(永禄3年)
この年の3月19日には島津義弘、島津忠親の養子として飫肥に入ってるので、伊東と島津とのガチンコは激化進行なぅ。
6月、足利義輝より島津貴久へ伊東と和融すべしとの御内書が届いてました。

ウィキペディア「伊東義祐・飫肥役」によると、豊州家(※)は島津宗家を介して幕府に飫肥役の調停を依頼してたらしい。
(※豊州家は島津分家で飫肥城主)
足利義輝からの和睦命令は伊東の元へも届いてたらしいが、伊東は無視。

そこで、9月4日(6月2日説あり)、日向の兵乱を鎮めるべく、幕府より政所執事・伊勢貞孝が下向し、伊東家を訪問したそうな。
(ちなみに北条早雲は、この伊勢家の庶流・備中伊勢家です)


伊勢貞孝を前にして、伊東義祐が恭しく出したのが「守護職移譲の御教書(公式文書)」だ。
発行した将軍⇒足利義政~えっと銀閣寺の人です^^b
貰った当主⇒伊東祐堯(すけたか)5代目です^^b
内容~~~日薩隅三ヶ国の輩は伊東の家人たるべし、但し島津、渋谷はこれを除く

伊東義祐は、この御教書を根拠に飫肥城攻撃の正当性を訴えたんです。

武家礼法エキスパート⇒伊勢さん、|御教書|・ ̄)じぃー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

伊勢
「これは、あきまへんなぁ。従三位という御身分の方が出して良いものとは違いますやろ」

伊東
「は?何か御不審があれば、お聞かせ願いたい ( ̄0 ̄A 滝汗フキフキ」

伊勢
「ほなら、言います。ここ、ほれ、そこも、東山殿(義政のこと)の頃には使わない書き方どす」
「これ偽書ちゃいますのん?こないなもん仰々しく出すもんやあらへん、
ほかすか燃やすかして忘れるこっちゃ、あては見なかったことにしますよって~
ほな、さいなら~(O ̄∀ ̄)ノ

※会話やりとりはシオ妄想,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

伊東撃沈・・・il||li _| ̄|○ il||l
まぁ「伊東義祐が裏工作の為に作った偽書」と断定されたわけでは無いのですが、
同じ偽書でも、当時の人間が書いたなら「当時の人間が使わない表現」が入るはず無いですからネー(*´・д・)(・д・`*)ネー

で、貰った人の設定が5代目伊東祐堯(すけたか)なのは、
この当主の代で島津の内輪揉めに介入し飫肥城攻撃が始まる、つまりルーツなんです( ̄ko ̄)チイサナコエデ

この際、誰が作ったかは置いといて「日薩隅三ヶ国の輩は伊東の家人たるべし
と記した文書を持ってたところに伊東義祐の本音が透けて見えます。

つまり伊東義祐は日向を我が物にしたら、薩摩・大隅を狙ってた。
もう一つ傍証。

日向記「伊東方与力衆事」より一部抜粋
一、肝付殿  一、根占殿  一、伊地知殿  一、新納殿  一、本田殿  一、北原殿
右ヲ以上六ヶ所ト云テ数ヶ年伊東方ニ礼儀ヲ伸テ与力ヲ致サルル也

久々超意訳:この6か所、ここ数年伊東方に与力してます

一、入喜院(入来院)殿  一、邪答(祁答院)殿  一、滝(高城)殿  一、東郷殿
右ヲ以上四ヶ所ト云テ此衆モ数ヶ年与力ニテ当家ニ御礼ヲ被申也

超意訳:ここ四カ所も、うち(伊東)の与力なの~(*´pq`)

凄い当て字~祁答院(けどういん)が、蛇答(じゃとう)に、どこのアジア系マフィアですか,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

一、菱苅殿  一、求麻相良殿  一、嶽ノ米良殿
以上三ヶ所モ同前ナリ、---
以上三カ所も同じ(与力)
此衆ケ様ニアル上ハ弥入道殿権威重クシテ三州の太守ト思食入処モ理ナリ
意訳:この衆、かようにある上は、弥(いよいよ)入道(伊東義祐)殿の権威を重くして、三州(日向・薩摩・大隅)の太守(=国主・守護職)とおぼしめす処も理(ことわり)なり。

超意訳:これだけの与力がいるのだから、伊東義祐が、もっと己の権威を重くして、三州の守護職を欲しいと思うのも無理ないのネー(*´・д・)(・д・`*)ネー

逆を言うと、与力してくれてる皆々様の所領を今すぐ、どうこうするつもりはないって事にもなる。
伊東義祐は、鎌倉以来の名門・三州守護職の家柄である島津氏に、とって代わろうとしたのでしょう。
俗っぽぃ・・・(._+ )☆\(-.-メ)オイオイ

もっとも伊東義祐の野心は、期待の嫡男の急死で頓挫します。
その後の伊東は「裸の王様+ロバの耳」で遊興三昧・禅三昧になり、一族家臣の離反を招いて島津に滅ぼされる道を辿る。

それは後年の話で、いま現在は島津が押され気味で日向・伊東氏が勢力最盛期。
伊東氏は、その全力でもって島津を日向から排除しようとしてるわけで、肥沃な真幸院を完全に手中に治めようと動いてました。

島津を裏切り伊東と組んだ相良家にも、これじゃないかな~という事情があるのだが、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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