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レジェンドオブ大河平(おこびら)__基礎資料(年表編・上)

●延徳2年(1490年)
・同年、家祖・大河平越前守隆屋誕生。

●永正4年(1507年)
・同年、初代・大河平左近将監隆充(隆屋嫡子)、誕生。

●天文5年(1536年)
・同年、二代目・大河平仲太左衛門隆利(隆充嫡子)、誕生。

●天文11年(1542年)
・8月20日:貴久と肝付以安(兼演:このとき実久方)が戦闘。
・北原兼孝、貴久を助勢するも大敗し、平良尾張守・白坂下総守兼次・渋谷兵庫ら700余が戦死。

●天文12年(1543年)
・1月:北郷忠相、安永・都城の兵を率いて、北原氏に奪われていた山田城を回復、
 5月には白坂下総守の居城となっていた志和地城も回復。

●天文14年(1545年)
大河平ナミ(大河平隆次の姉)誕生。

●天文15年(1546年)
・12月3日、伊東義祐、従三位に叙せられる。以後、三位入道を自称。
伊東義益、誕生。

●天文17年(1548年)
・6月10日、伊東義祐の嫡男・歓虎丸が夭折。
・8月、球磨・葦北・八代三郡の奉行に依り、万満(相良義陽)が後継と決する。

●天文19年(1550年 :閏5月)
・2月12日、大友義鑑が「二階崩れの変」で横死。菊池義武が蜂起。
・同年、三代目・大河平九郎隆次(隆充三男:長男隆利と14歳差)誕生。

●天文20年(1551年)
・6月8日、伊東義祐、大仏殿を建立。12月28日に安置。

●天文23年(1554年)
・11月20日、菊池義武、詰め腹を切らされる。

●弘治3年(1557年)
8月13日、上村兄弟支援の北原500名が襲来、これを大畑にて迎え打ち120余名を討つ。
大河平弥左衛門隆豊(隆充次男:法名「雪窓用盛居士」)はこのとき戦死か(大河平氏はこのときに北原を頼ったとも)。

●弘治4年・永禄元年(1558年:2月28日に改元 :閏6月)
・同年(3~4月頃?)、北原兼守死去。

●永禄2年(1559年)
・1月、大友義鎮、肥前守護職に、6月には豊後・筑後の守護職になる。また11月には九州探題に補任される。
・3月7日:大河平左近将監隆充(隆屋嫡子:法名「一中良竿居士」)、卒去。享年53。
・3月14日、大畑衆が真幸院へ示威行動。
3月17日、伊東義祐、馬関田右衛門佐への北原家督に反対の者を都於郡城にて詰問。
       その帰途を六野ヶ原にて待ち伏せて多人数で取り囲み、北原三河守ほか11人に詰め腹を切らせる。

4月12日、馬関田右衛門佐と伊東義祐の娘・麻生の祝儀

・7月29日、上村頼孝、将兵700人を伴い相良家へ帰参。
・8月16日:獺野原の戦い。(相良氏の内戦)
大河平源太左衛門隆重(隆堅次男)が誕生。

参照史料:『えびの市史』『本藩人物志』『八代日記』
参照文献:『物語り 大河平史』『諸県興亡』
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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