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感想①--『竜造寺家臣団の構成とその特質(天正八年の着到帳の分析を中心として)_藤野保』

まず前提として古文書学における武家様文書の中の上申文書の中の着到状の知識が必須になります^^;
シオさん先に勉強しといて良かったですね~過去記事_着到状
(てか、でないと理解できないんで論文を読むのを先延ばししてたwww)

で、自分は論文を読んで初めて自分が長いこと勘違いしてたことに気づいた。
実は佐賀藩では分限帳を着到帳と呼んでたんです( ゚д゚)ンマッ!!

参考:ウィキペディアより「分限帳」
江戸時代に大名家家臣の名や禄高、地位、役職などを記した帳面。別称に侍帳、家中帳、給所帳。


当然ながら武家成立から中世・戦国期に及ぶ「着到状」の本義とは意味合いが違ってるわけですil||li _| ̄|○ il||l
佐賀藩が分限帳で着到の言葉を使ったのは・・・まぁ「イザ!鎌倉」てな気分かと思われます・・・( ̄ω ̄A;アセアセ
主君(藩)の一旦火急・有事に馳せ参じるメンツって感じなノリというか、葉隠的クールな表現というか・・・
藤野先生は「主従制の伝統的観念に由来するものであろう」と書かれています(←史学者の簡潔明瞭な表現は素晴らしい)

んで、ここんとこを勘違いしてたというか、江戸期の使用用語に引きずられて、
天正八年(戦国時代)の配分帳を江戸期の分限帳と同じ感覚で捉えるという、大ボケしてましたぁぁ
判る人には爆笑もんのボケボケですわ~もはや自分で笑って誤魔化すしかありませんな,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ! 
いや、違和感はあったんだけど、ビギナーなんで何が変なのか論文読むまで判んなかったんです^^;

ちなみに初めは一枚一枚別紙だった着到状ですが、
戦国期に入ると帳面(台帳)になり「着到帳」と呼ばれます。
ですが、便宜上として書式は変化していても意味合いとしては、戦国期までは着到状と同義と捉えてOK^^/
てか「そう捉えて分析するのが第一の重要事項(`・ω・´)キリッ」と藤野先生も申されておりますm(__)m

でことで、戦国期真っ盛りの天正八年、龍造寺の着到帳には三種類の史料が存在するのだが、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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