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感想②--『竜造寺家臣団の構成とその特質(天正八年の着到帳の分析を中心として)_藤野保』

龍造寺の天正八年着到状史料は、一次史料ではなく全て二次史料です。

A・五箇国配分帳
B・五ヶ国御領地之節配分帳
C・天正八年肥筑豊太守竜造寺山城守藤原隆信公御一家并御家中旗下之侍付与
(C長ぇぇっ)

Aが嘉永七年の写本(・・・ペリー来航の翌年・・・ほぼ幕末っすね)
Bが元禄十年の写本を更に文政七年に写本

原本である一次史料については論文中で触れてないので、何年に写本しました~という事実しか判ってないのかな?
そのあたり自分が原典未確認なので判りません。
いずれにしてもA、B、共に単独の書冊なんだそうです。

Cは多久家関連史料を収録・編纂した「肥陽旧章録」にあるんだけど、内容的にBに近いそうです。
藤野先生はCはBを書写したもので、そこに新たにC独自の考証を加えたものとされています。
__φ(。。) ふむふむ・・・てことで、BとCは同系色文字にして、更にBを太文字にしませぅ

AとBCの違い
①Aは隆信ー政家を中心に記載順位が整然と家系ごとになってる
②①のことからAには他家に養子に入った家種・家信が一門としてカウントされているが、BCだと別項にカウントしている
③BCにはあるが、Aには宗金斎以下5名が抜けている
④龍造寺家親の石高(A-500町、BC-5000町)

①~③の違いから龍造寺一門の人数が、A=29名、BC=27名
①~④の近いから龍造寺一門の総知行が、A=8919町、BC=10470弱(BCで5町差異あり)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・与賀龍造寺一門の一部がAにカウントされないんだ!( ゚д゚)

その他の違いとして、
Aが二代目も記載(○○の父)している
Cが三代目を記載
藤井先生によると、それぞれの人物の諱・官職から後世の書き込みなのが明らかなんだそうです。

んで、Bのみが戦国当時の通称で書かれていることから、Bが最も原型に近い史料と結論されています。
てことでBを中心に検証へと論文は進む__φ(.. ) メモメモ
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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