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感想③--『竜造寺家臣団の構成とその特質(天正八年の着到帳の分析を中心として)_藤野保』

五ヶ国御領地之節配分帳(隆信公幕下着到)---元禄十年の写本を更に文政七年に写本

原本は天正八年ですが現存していません。
藤井先生は、冒頭の史料を原本に最も近いと論証されています。

その上で中身の検証ですが、。。。φ(.. ) メモメモ

龍造寺一門27名のうち、与賀龍造寺(胤家系)村中龍造寺(家和系)が主たる構成を占め、
水ヶ江龍造寺(家兼系)は6名しかいなかったそうです。

水ヶ江龍造寺系が有力な地位を占めるのは、元亀元年の今山合戦において大友勢に勝利してからと藤野先生は書かれています。

史料タイトルの( )内にある幕下着到という言葉ですが、二つの意味が込められています。
幕下=被官
ここで大事なのは、あくまでも配下であって江戸期のような家臣ではないという点です。
だから沖田畷で隆信公が討ち取られると「幕下」・・・特に肥前国以外の幕下は速攻で寝返ります^^;

着到=馳せ参じましたぁぁ
戦国時代に馳せ参じるのは家臣だけも幕下(被官)だけでもない。
敵側だったのが寝返ったり、日和見だったのがやってきたり、色々です^^
つまり着到の事実だけをもって、被官とは限らないということです。

まぁ、これは拘り戦国オタなら大前提として頭にいれておかなきゃならない事です。
(ちょっと江戸期の用語に惑わされてウッカリ勘違いしてた誰かさんがいましたけどwww)
ところが冒頭の史料は、幕下(被官)か、着到(馳せ参じた武将)か、片方の事柄だけで幕下着到ひとくくりでカウントしているby藤野先生論文超要旨んです。
現存してない原本(一次史料)に元からあったのか、江戸期の「盛り(願望?)」で付け加えられたのか、見比べることが出来ない以上は断定はできません。
でも少なくとも肥前国衆以外のデータは鵜呑みにできない~~と言う事です^^;

なるほど~~それで秋月種実や相良義陽までカウントされてたのか(@@)
秋月は何かの戦で龍造寺に援軍出してたような・・・島津の方だったかな?(-ω-;)ウーン
相良は龍造寺に起請文だしてたからカウントされたって事かな?(-ω-;)ウーン

一番ぶっ飛ぶのは立花道雪と宗茂(当時は統虎)まで「幕下着到」にカウントされてることです,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
幕末期に写本された五箇国配分帳の方になると、岩屋城で大友への忠義に殉じて玉砕討死した高橋紹運まで入ってます
( ´д`)ぇえぇ~~~~
そういえば、主家である大友氏没落で一時的に龍造寺と棲み分けしてたことがあったような~ヽ(。_゜)ノ

ここんとこ自分が与賀龍造寺の関係で、明応年間だの永正年間だのばかり調べてるんで、天正年間の政治状況がパッと出てこない^^;
論文は更なる細かい分析にはいり、シオの脳みそのリミッターを振り切りつつあるのだが、それは・またの話 by^-^;sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: No title

> ちょっとー!紹運様にまで・・

そうなんです^^盛るにもほどがあるだろうと・・・

> ちび宗茂くんが立花の家臣さんにイガグリぐりぐりされたお話を思いだし、

個人的にはマルモの掟の福くんに宗茂少年をやってほしい 川* ̄д ̄*川ポッ 

> っと、お勉強のお邪魔致しました。ではー。

いえいえ~こんなコメントしづらい記事にありがとうございます 
ご迷惑かと思いますが気持ちです (* ̄ヽ ̄)ナゲキッスヽ(* ̄・ ̄)ノ^☆チュッ♪

No title

こんばんはー!深夜なので脳みそハイ、too!
ちょっとー!紹運様にまで何すんのー!?きいー!宗茂君が我慢しても私は我慢できないですわっ。

丹波ドライブで、道に落ちたイガグリを見ただけで、ちび宗茂くんが立花の家臣さんにイガグリぐりぐりされたお話を思いだし、こっそり微笑んできたとこなのに。

っと、お勉強のお邪魔致しました。ではー。

Re: No title

> なるほど。

ですです^^

No title

なるほど。
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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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