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【薩州家_島津義虎までの壱】

※本稿に入る前の予備解説なので記事ルール割愛します。
  ザックリ駆け足予備解説につきブログ内カテゴリ・島津薩州氏編参照です。


薩州家を知るのは、肥後戦国史オタか島津オタぐらいだろう。
なぜなら薩州家は、島津宗家に逆らうだけでなく、豊臣秀吉の逆鱗に触れ取り潰された為に、
島津宗家から黒歴史扱いとなり、戦国期の光彩を二度と取り戻す事が出来なかったからだ。

江戸期編纂二次史料・本藩人物誌においても、本編ではなく「国賊伝」(宗家に刃向った国衆や家臣・一族などが入っています)の方に記載されている。
秀吉に改易された薩州家の史料は極めて少なく、島津関連における他家史料等に記載されている部分から拾うしかない状態でして、まとまった家譜のようなものはありません。


だが「島津に暗君無し」の名君伝説を彩る、江戸期から今に至る島津当主に、
その薩州家の血脈が流れているのを知る人は少ない。




これは、あくまでも個人的な見解なのだが、
戦国島津氏を物凄く簡単に説明すると、
戦国初期から中期⇒⇒宗家の地位を巡る椅子取りゲーム
戦国中期から江戸初期⇒⇒宗家の君主権確立まで苦労バナ

と思うんです^^/
で、宗家の地位を巡る椅子取りゲームで頭角を現すのが総領五家「総州家奥州家相州家・伊作家・薩州家

初めに(室町期)宗家の椅子を奪い合ったのが総州家と奥州家。
(※元々の宗家は総州家)
で、勝利を治めたのが奥州家でして、総州家は滅ぼされ総領五家から脱落します。
てことで文字をグレー色にしませぅ__φ(.. ) ペタペタ

室町幕府も旧宗家が滅んでしまっては手のうちようがなかったらしく、新宗家=奥州家を認めました。
奥州家は平成現代まで続く島津氏DNAの頂点となります__φ(.. ) カキカキ宗家は青色にゃ

で、宗家(奥州家)ドン・久豊の息子や孫から分家が派生します。
**************************************
忠国(陸奥守)~宗家(奥州家)家督を継いで9代目当主・正室は伊作島津勝久娘
用久(薩摩守)~薩州家初代⇒7代目で豊臣秀吉によって改易
季久(豊後守)~豊州家初代
有久(出羽守)~羽州家初代⇒後に嫡流が絶えて大島島津家として存続
豊久(伯耆守)~伯州家初代⇒2代目が出奔し豊州家3代目の家臣となるので断絶

相州家は久豊の孫(忠国の子)が初代。
伊作家も久豊の孫(忠国の子)が継ぐ。
**************************************

おーい大丈夫~?~~ついてこれてるかぁぁぁーo(* ̄○ ̄)ゝーーーーぃぃぃ
総領五家のうち、三家が新宗家(奥州家)から派生してるわけなんです。
(伊作島津のみは以前からあるが、直系が絶えて久豊の孫が継いだ)

で、戦国初期から中期にかけて、再び宗家の椅子を巡り一族内の相克があり、
10年に及ぶ争いの末に勝利を治めたのが伊作家。

この伊作家当主・日新斎の孫が、高名な島津四兄弟(義久、義弘、歳久、家久)です。
戦国後期からは宗家の座は伊作家が、
江戸初期からは島津四兄弟のうち次男・義弘の系譜が宗家当主の座を独占するのだが、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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