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【薩州家_島津義虎までの その9】

やばぃ・・・相良に中々戻れない・・・( ̄ω ̄A;アセアセ

※本稿に入る前の予備解説なので記事ルール割愛します。
  ザックリ駆け足予備解説につきブログ内カテゴリ・島津薩州氏編全18話参照です。


守護職に復帰した島津宗家14代目・勝久(元・忠勝)は、今風に言う所のダメンズだったそうです。
薩州家と伊作家(相州家含む)と、島津分家二大勢力が争うのを後目に、遊興に耽り佞臣を侍らせた。

享禄2(1529)年には、分家、庶家、国衆たちが伊作の日新斎(=忠良)と和解するよう進言したのだが、勝久は聞く耳持たずだったそうです。
天文3(1534)年、宗家の家老、家臣たちは勝久が諫言を受け入れないので、ついに思い余って勝久の佞臣をヤッちまいました( ゚д゚)ンマッ!!
天文4(1535)年4月3日、ビビっていったん逃げた勝久ですが、舞い戻ると自分の寵臣(=佞臣)を殺した島津家老を、追いつめて自害させてしまう。
さらに家老の城まで攻撃しまして、、、家老の未亡人が城兵らと頑張って防いだそうです( ̄ko ̄)

このグダグダな状況に、ついに島津家臣が宗家当主で主君である勝久を見限り、薩州家の実久に与した。
天文4(1534)年9月末~10月にかけて、薩州家・島津実久(数え23)は、宗家当主である勝久を追い出す!
ここまでの島津当主は『総領五家(総州家(=室町期に滅ぶ)、奥州家、薩州家、伊作家、相州家(=伊作が吸収)』のうち、奥州家でした。
追い出され逃亡した勝久は、自業自得で二度と薩摩の地に戻ることが出来ず、奥州家から宗家当主が出る事は二度とありませんでした。

鹿児島に入った実久は、諸氏に自分を「御屋形」様と呼ばせようとしたんですが、御膝元で吉田衆の謀反が起きたので止む無く出水に戻ります。
(ちなみに「屋形」号とは国主(=守護職)に対する呼称でして、これも勝手に自称は出来ず室町幕府の承認いります)
で、鹿児島には島津貴久(5月生まれだから23歳かな?)が入ります。^^;

天文5(1536)年5月1日、伊作と薩州家の抗争の真っ最中に、薩州家6代目となる義虎クン誕生ゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノ

で、自分がIFバナで黒幕じゃね?と想像してた薩州家3代目・重久が、同年9月15日に73歳で亡くなってます。
法名が天倫才賢だから切れ者だったんだろうな~孫で曾孫の顔は見れたようですね(-人-)☆彡

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ちょっと気になるのが、重久死去直後から薩州家サイドの城が次々と伊作の日新斎(=忠良)に攻略され始める事です。
それと今まで割愛してたんですが、マンモス氏族な島津なので分家の そのまた分家ってのがあるんです。
で、薩州家の分家は全てが5代目当主である実久に従ったわけではなく、伊作サイドについた分家もありました。
自分の重久黒幕説をIFバナしてたのも、こうした時系列の流れや、薩州家が一つにまとまりきれてない現状があったからでした。
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天文6(1537)年12月?日~実久(26歳)は自ら薩摩守護職にならん、とするが新納氏の反対にあい断念。
この12月の間も伊作・日新斎(=忠良)は、ガンガンと城攻略して伊作エリアを広げてるんで実久の方に焦りがあったかもです。
天文8(1538)年閏6月、伊作側は市来(現・日置市)を制圧し、同年に実久弟の城が落ちます。
1538(天文8)年(閏6月か?)~ついに実久は日新斎と和睦し出水へと退いた
って、系図に実久の弟っていないじゃんΣ(´Д`;) あれ?
このへん伝承がオカシクなってるかも~~~

薩州家・実久と伊作・日新斎(=忠良)が和睦した月日も、本藩人物誌では年度のみで月日不明になってます。
ただ市来が伊作に制圧されたことが、心理的にil||li _| ̄|○ il||l モウ ダメダ・・・となり、和睦に傾いたようです。
1545年(天文14)3月18日、島津貴久(数え32)正式に三国守護となる
え~~と、この年に島津分家の豊州家が(やっと)貴久を当主と仰ぎ従うことを誓います^^;

なんというか、戦国時代の分家って宗家の家臣じゃないんです。
だから伊作と和睦した薩州家も、従っているだけで家臣になったわけじゃないんです。
勝者として新宗家となった伊作・島津氏が当主権を確立するには、江戸初期・薩摩藩初代藩主の時代まで待たねばならないのだが、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
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