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【薩州家_島津義虎までの その10】

カテゴリ薩州家1~15話までのうち、なんとか5話縮めて義虎まで来たです ( ̄ω ̄A;アセアセ

●義虎の正室・御平
 四兄弟の長兄・島津義久(後の16代目宗家当主)の長女。
 1551年(天文20)年8月22日生まれで、夫・義虎より15歳年下です。
 晩年に隅州上井ノ平に住んでいたので「御平/おひら」と呼ばれたので、それ以前に彼女が何と呼ばれていたかは解りません。


家系図・薩州家
島津実久が実叔母(祖父の次女五女)と結婚したのは何度か書いてます。
で、伊作・日新斎(=忠良)が実久正室の姉・御東を正室にしてるので、
宗家15代目・貴久と薩州家6代目・義虎は、母系で辿ると従兄弟の関係になります。
父系だと貴久は、義虎の祖父の姉の子だから・・・大叔父?ヽ(。_゜)ノ?

複雑なんでガン見してもピンと来ないかもですが、実久以外にも実の叔母と結婚した人物がいます。
それが島津貴久の嫡男・義久です^^;

えっと~日新斎が嫡孫の器量を見込んで、側室との間にこさえた四女を嫁がせたんです( ̄ω ̄A;アセアセ
薩州家と言い、なんなんでしょうね~~島津じゃ出来が良い孫に娘を嫁がせる交配神話でもあるんだろうか^^;
で、その実叔母・甥のカップリングで生まれたのが御平で、実叔母が産んだのは娘のみで数年後(永禄2.11.18)に亡くなってます。

つまり島津義虎は従兄の孫と結婚したわけです^^;
御平が嫡男を産むのは15歳くらいなので、義虎は三十路まで正室がいなかったことになります。
戦国時代には珍しく晩婚ですが、なんで正室がいなかったのかは判りません。

1545年、島津貴久が三州守護となった時、義虎は数え10歳でした。
ウィキペディアには、父・実久は薩摩国の守護職の座を巡り、伊作家の島津忠良・貴久親子と対立したが、義虎は逆に従う姿勢をみせていた。
と書いてますが、えっと十代の少年が逆らうも何もないわけで^^;
家長である父・実久が和睦したんで、そのままの路線を引き継ぎ従ってたものと思います。

ただ肝心なのは和睦であって降伏じゃないって点です。
ですから薩州家は伊作側に人質を出したわけでもなく、領地や城も割譲してないので勢力キープ(=^・ω・^=)v ブイ
ウィキペディアに「臣従した」って書いてるけれど、それは我々が認識している感覚においての臣従ではないわけです。
簡単に言うと三州守護職である宗家の意向に大筋では従うが、自家の利益保持・面子・義理ごとがあれば、そっち優先で独自に動からね!って感じです^^/

そういう状況ですので、天文22(1553)年閏1月、実久は宗家の頭越しに上洛して、将軍・義輝公に拝褐してます。
ちなみに銘菓・八ツ橋は戦国時代には未だありません^^/
帰国の途中で発病し同年7月7日に出水に帰ったのですが、22日に亡くなりました。享年42の若さ。
義虎は数え18で家督を継ぎます。

御平と結婚するまでの宗家と島津義虎の関係が、どんな感じか本音の部分では判りません。
ただ義虎は東郷氏と揉めてガチンコ長期敵対関係に突入してるので、宗家に敵対はしてないものの、単独で動いてるような節はあります。
島津氏№2の勢力である薩州家は、将軍家と独自のルートがあったようです。
父に続いて義虎も、宗家と関係なく将軍家に拝謁しているのだが、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: No title

こんばんは

> 仮に秀吉による改易を免れたとしても、例の初代藩主様から難癖つけられて滅ぼされた可能性が高かったのではないかと。

そうですね。
血なまぐさいやり方は幕府に目をつけられるだろうから、たくさんいた息子か娘や孫を送り込んで家督を乗っ取ってたと思います。

毛利といい、戦国は分家が生き残るのも大変な時代ですね^^;

No title

こばわ。

実久が亡くなった後も、薩州家は目の上のたんこぶだったようですのう。
日新斎が曾孫娘を義虎へ嫁がせたのも、懐柔の色がひじょーに濃そう。

「義虎が長生きしてれば、薩州家はずっと存続できたか?」ってお話が以前あったかと思いますが、正直難しかったのではないかと思います。
仮に秀吉による改易を免れたとしても、例の初代藩主様から難癖つけられて滅ぼされた可能性が高かったのではないかと。
半独立の最有力分家とか、宗家にとっては権力強化の妨げでしかななかったはず。
庄内の乱とかで伊集院と組まれたりしたら、もっとシャレにならん事態へと発展していたかも。

様々な可能性のあるIFを語り出すと止まらなくなるので、今宵はこの辺りで。
ではでは~
プロフィール

時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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