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龍造寺家文書_113_大内義隆書状(小切紙)

みなさ~ん、古文書の様式における、小切紙って覚えてますかぁぁーo(* ̄○ ̄)ゝーぁぁ?
自分は過去記事にしてるのに、すっかり忘れてました,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

小切紙・・・の中の切紙とはプライベートや大量発給の文書に使う
で、切紙の小切紙は、堅紙(たてがみ=正式な書状の紙・約A4サイズ)を、チョキチョキ適当な大きさに切って使うって事なのです^^b

つまるところ略式であり、上位者から下位者へ発給する時に用いられます^-^




原文
※読み下し(てるつもり)
★超意訳

肥前国代官事可申付候、忠節肝要候、猶原田可被申候、恐々謹言
※肥前国代官の事、申し付く可(べ)く候、忠節が肝要候、猶(なほ)原田へ申され可(べ)く候、恐々謹言
★肥前国の代官に任命します~忠節が大事ですよ(`・ω・´)キリッ、なお、原田に言うように、恐々謹言なぅ
(天文十六年)
七月廿七日    (大内)義隆(花押)
龍造寺宮内大輔(胤栄)殿





これまた書状なので年欠文書(月日は書くが年度の記載なし)です。
( )の年度は、佐賀県史料集成に編集段階で明記してたものです。
胤栄の活動期間や、大内側データと比べて割り出したと思います。
年度の違いによって解釈が変化するって、古文書アルアルなんですが、諸情勢から鑑み年度推定はコレで動かないと自分も思います。

北肥戦誌247頁には、大内義隆が天文16年6月に、胤栄を豊前守とし、肥前の守護代として少弐退治を命じた
とあります。
文中の「肥前の守護代として」~~の部分に相当する一次史料がこれになるのでしょう。

同じく北肥戦誌には、龍造寺胤栄が大内義隆より領地安堵を受けた旨が記述されていますが、
そちらは龍造寺家文書の中には残っていません^-^
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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