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龍造寺家文書_114_大内義隆官途吹挙状

原文
※読み下し(てるつもり)
★超意訳

山城守所望事、可令挙敷奏之状如件、
※山城守 所望の事、敷奏(ふそう)挙げ令(せ)しむ可(べく)之(これ)状(じょう)件(くだん)の如(ごと)し
★「山城守」って官位が欲しいって話なんだけどさぁ、朝廷に頼んだからバッチリだよ~ん(=^・ω・^=)v ブイ

天文十九年七月一日    (大内義隆)花押
※天文19年=1550年

龍造寺民部大輔(←隆信のことです)



用語解説^^/
敷奏(ふ-そう)---天子に意見などを申し上げること。

=== 所感 ===
龍造寺隆信の曽祖父である剛忠(家兼)も山城守でした。
隆信は継承するにあたり、自称ではなく正式に推(吹)挙を受けて任官したんですよ~ってことです^^

龍造寺隆信が、これまでの「民部大輔」から「山城守」へ変更した理由。。。
あくまでも推測ですが、
「民部大輔」は宗家・村中龍造寺が代々受け継いでいました。
隆信の嫡男・政家も「民部大輔」です。

ただ、隆信以前の龍造寺当主は少弐系千葉氏から推挙を受けてまして、隆信当時、いわば少弐色のある官位でした。
だから大内被官になるにあたり、水ヶ江系当主の「山城守」をチョイスしたかと・・・
武家官位に関する方面の知識が不足してるので、推測に自信ないっす・・(´;ω;`)ウッ

古文書学的に超ハッキリしてることが一つだけ
大内義隆に、龍造寺隆信は呼び捨てにされてます,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
漢字の「殿」はおろか、平仮名の「との」すらない、超上目線の大内氏です。
「民部大輔」がついてるだけマシよネー(*´・д・)(・д・`*)ネー

天文19(1550)年・・・当時、ぶっちぎり最盛期だった西国のドンからみれば、
分家当主から宗家家督を継いだ龍造寺隆信は「肥前の熊」ならぬ「小熊ちゃん」ですもん (*´pq`)クスッ

花押した大内義隆・・・まさか翌年に家臣の謀反(大寧寺の変)で自害する事になるとは、夢にも思わなかっただろうな~
戦国は、ハイティーンの青春より明日が見えない!Σ(´Д`;) 
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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