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相良義陽_43【相良と菱刈と薩州家と その11】

≪はじめに≫
自分の本業研究は「肥前史」で、歴史記事は趣味で紹介しております。
肥前史以外の資料は所蔵していないので、記載している出典元は基本として自分では未確認です。
ですから、あくまでも「こういう見方もあるんだ~」という程度の「読み物」としてお楽しみ下さい^-^
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≪記事内ルール≫
年号は旧暦対応表記です
青文字⇒⇒一次or二次史料などの元出典があるもの
緑文字⇒⇒三次史料や補足&解説となる部分
他文字⇒⇒分析・推測・・つまりIFバナなので、苦手な方はスルーで^^;
その他の出典&参照元⇒⇒必要に応じて都度明記
※何処までが確認がとれたデータか、孫引きデータなのかは、極力明記します( ̄ω ̄A;アセアセ
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えっと~義陽編なのに年代が遡ったままですいません^^;
あとから判明したデータが多数あり、パパン晴広編に収録できんかったのです(´・д・`)

伊作島津の反撃で、じわりじわりと薩州家側が不利になってきたころ、
天文7(1538)年4月13日、薩州家・島津実久は佐敷の仮屋に来訪し、相良義滋と会見している

この会見時に、薩州家・実久側から相良に対して起請文が提出されたのだが、肝心の中身が伝わってない^^;
で、察するに、どうも天草地方に関する事・・・っぽい感じなんです。

球磨郡誌によると、薩州家は実久の代で天草諸氏とトラブってたようなんです。
(郡誌では、トラブルの詳細は書かれてなかったです)
郡誌の元出典は江戸期の求麻外史らしいので、記述を鵜呑みには出来ないんですが、相良氏が天草地方に本格介入するのが実久死後なんです ( ̄ko ̄)

だから相良が当時苦境に陥りつつある薩州家の顔を立てて、何がしかの譲歩を承諾したみたいなんです。
あながち的外れじゃない推測だと思います。
というのは後年ですが、実久の嫡男・義虎の代で、義虎は島津宗家に従ってたはずなのに「相良に利するような不可解な行動」をしてるんです。
父の死去まで律儀に約定を守った(と思われる)相良氏に対して、薩州家・義虎が往時の義理を果たしたような印象を受けます。
まぁ、それは後の話になるので、ここでは詳細のネタバレはしないでおきましょう (^ -)---☆Wink

大口城を失った(時期不明)菱刈氏が、再び相良とタッグを組んでゲットしたのが、弘治2年(1556年)の事。
ここで、やっと義陽の代^^/
で、ゲットの経緯は過去記事【大口城~101回目のアプローチ?】相良氏、義陽編6 で既に紹介してるので割愛します^-^

そして、このゲットの時に菱刈氏は享禄3(1530)年のように自分が支配しようとはしませんでした。
相良義陽に大口城を献上することによって、菱刈は相良氏の被官になったんです。
(大口領そのものも、島津側から正式譲渡を受けて、相良エリアとなりました^-^)
(島津宗家=実質・伊作は、未だ国内が不安定だったので、相良と敵対せず友好関係でいる事を選択したんです)

偏諱(へんき=一文字拝領)でもない。
領地安堵でもない。
第三の道・・・変則パターンの被官関係が、相良義陽と菱刈の新たな関係です。

変則パターンだからというか、国衆アルアルだからなのか、菱刈氏は相良オンリーワンという訳じゃなくて、自身の判断で動き回ってます^^;
更に偏諱も受けてないから、文書類で被官関係を証明するのが難しいんですが、明瞭な傍証があるんで ほぼ間違いなしです。

傍証というのが、これまた後年ですが菱刈が島津宗家に敗れた時に、菱刈の一門・家臣クラスが迷うことなく相良へ逃げ込んでるんです。
事前に(-人-)☆彡オネガイなどの打診一切なしで、直行です。
で、相良の方も「迷うことなく菱刈を受け入れ、自家の家臣団に吸収」してます。

下手うった配下が保護を求めてきたら、何を置いても受け入れて庇護する・・・
これは紛れもなく被官関係における上位者が下位者に対して行うことです。

被官関係自体は、この明らかな行動で証明できるんですが、
大元根幹部分・・「菱刈が何故に相良の被官になったのか」が、データ不足で当時の自分では類推出来てませんでした( ̄ω ̄A;アセアセ

んで、新たに入手したデータを元に、いつもの如く遠因探しリサーチで年代をガンガン遡り、
「薩州家シリーズの再チェック投稿11話で下準備」しまして、「本題の相良と菱刈と薩州家シリーズ」を始めた次第です^-^

まず単純に大口に侵攻するってことは、島津宗家と敵対しちゃうってことです。
でも「それだけ」なら、今に始まったことじゃないのネー(*´・д・)(・д・`*)ネー

ここで新たなピンチ要因が加わってたので、菱刈は「特に大口に関して」「相良の保護下に入る道」を選択したんです。
菱刈にとっての新たなピンチ要因というのが薩州家です。
重久死去で縁戚関係といっても縁が薄くなってるのもありますが、
もっと潜在的なトラブル要因を菱刈は抱え込んでおり、相良義陽とも関係してくるのだが、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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