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渋谷氏_4【祁答院(けどういん)中編】

薩州家で伊作島津と壮絶な宗家争奪戦を繰り広げた5代目・実久には4人の娘がいました。

三女は巽(たつみ)氏、四女は小川氏に嫁いだのですが、詳細不明の武将に嫁いだので割愛^^;
で、次女・虎姫が祁答院(けどういん)13代目・良重に嫁いでいるんです。
子に長男重経(田中と号した)、次男重種(養子とも)、三男重加と、娘が一人(←ここWIKIから)
子供たちの生母の記録はないのですが、祁答院良重に側室がいた記録もないので、おそらく・・ですが実久次女・虎姫が生母と思われます。

ちなみにウィキペディアでは実久ではなく、何故か息子である義虎の娘(←出典元不明)になってます^^;
ですが本藩人物誌ではハッキリ実久次女と明記されてますので、それを典拠に進めますね^-^
※義虎娘説ですと色々と不自然でつぉ・・( ̄ko ̄)

虎姫が祁答院家に嫁いだ時期は不明です。
嫡男の生年が天文7(1538)年で、実久が伊作島津氏に降伏したのが同年なので、伊作島津との攻勢の最中で縁組された政略結婚と思われます。
養子説のある次男は詳細不明。
娘は天文10(1541)年に生まれ同23(1554)年に若死にしてます。

虎姫の女として母としての不幸は、娘が数え14という、戦国なら花の盛りを迎える年頃に失ったことです。
更なる衝撃として嫡男が戦死します。
しかも娘と同じ天文23年です。

前回話した島津兄弟が初陣デヴューの「岩剣城の戦い」に於いて帖佐高樋で、嫡男が戦死(天文23年10月2日)するんです。
気の毒すぎて「お悔みの言葉も思いつかない」(´;ω;`)ウッ

もし・・・・ですが、虎姫が精神(こころ)のバランスを崩したとしたら、この時の衝撃から立ち直れなかったから他ならないでしょう。
虎姫の夫である祁答院13代目・良重は、優れた武将でした。
良重「人ト為リ驍勇(ぎょうゆう)ニシテ能強弓ヲ引ク」(出典:本藩人物誌)
※良重は、驍勇(ぎょうゆう)ニシテ(=強く勇ましい)、強弓を能(よ)く引く人為(な)り

その一方で、色々と問題があった人物のようです。
良重生平放逸荒婬ニシテ畋遊ヲコノム
※良重、生来 放逸荒淫にして、畋遊を好む
(放逸・ほういつ~勝手気まま・・自己ちゅう)
(荒淫・こういん~情欲にふける・・・手当たり次第に浮気し放題 ( ゚д゚)ンマッ!!)

ものごとには限度というものがあり、一族の当主ともなれば節度も求められます。
武将として有能だから、全てが許されると思ったら大間違い。
一番身近で見聞きする妻・虎姫としては、やりきれない思いが募り憤懣がMAXになるのは無理からぬことだったのだが、
それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: 朧豆腐さま

> 「英雄色を好む」とはいいますけど、単に好色なだけでなく、本妻含めて関係もった女性一人一人を気遣って大切にできるのが本当の英雄だとか。

たしかに、それが出来たら理想的ですね^^

> 残念ながら祁答院の13代目は、その辺りの配慮に欠けていたようですのー。

う~ん、島津側の記録しか残ってないので、額面通りに受け止めて良いのかってのがありますけどね^^

コメントありがとうございます^-^

No title

「英雄色を好む」とはいいますけど、単に好色なだけでなく、本妻含めて関係もった女性一人一人を気遣って大切にできるのが本当の英雄だとか。
残念ながら祁答院の13代目は、その辺りの配慮に欠けていたようですのー。
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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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