FC2ブログ

【雷神の墓守】柳川藩初代藩主編2栞70

にほんブログ村 地方・郷土史
国人とは、それぞれの地方に土着している豪族(ある程度の勢力を持つ武士団)のことです。
例えば「太閤記」に出てくる蜂須賀小六は、川並衆(川並という土地の豪族)です。
彼らは本貫地と呼ばれる先祖発祥の土地に地盤を置き、先祖代々の領地を守り続けていました。
生き残る為、配下になることはあっても、家臣になることはない・・・それが国人です。
そんな国人が誰かの家臣になると、時に累代の譜代家臣以上の忠誠心を発揮することがある

立花家の家老・薦野増時(こもの ますとき)は筑前の国人でした。

だから立花の譜代家臣ではなく、道雪に増時の代から仕えた新参者でした。

それを養子にと道雪が考えたのだから、相当に優秀な人物だったようです。

養子の話は増時が「自分は新参なので・・」と遠慮し、そのかわり道雪と二人で選んだムコ養子が宗茂でした。

増時は大恩ある道雪に死後も仕えることを願い、道雪に対し「自分が死んだら(道雪と)同じ菩提寺に眠りたい」と願い出、道雪も悦んでそれを許しました。

道雪の死後、増時は後を継いだ宗茂に良く仕えた。

宗茂の最愛の実弟・直次が敵の島津に人質になったときも、交渉の末に無事取り戻すことに成功した。

感謝した宗茂は薦野に「立花姓」を名乗ることを許可し、増時の息子に実妹を嫁がせます。


増時が最初に仕えた立花道雪

天正15年(1587年)6月~立花宗茂が大友家臣から独立~柳川13万石の大名となります。

増時は、先祖代々守った領地と道雪の菩提寺(梅岳寺)を、後ろ髪を引かれる思いで離れることになるのです。

柳川時代の増時の待遇は城島城の城代家老5000石で、立花四天王に匹敵する厚遇でした。

立花のムコは「道雪と二人で選んだ」という自負のある増時は、しばしば宗茂に諫言しました。

増時はムコ養子の宗茂に、道雪のように・・・いえ道雪そのものになることを望んだのです


若いながら人格者の宗茂でしたが諫言が度重なり、さすがにドン引き~増時を遠ざけます。

もしかしたらギン千代の不仲になる時期と、増時を遠ざける時期は、重なっているかもです。

増時は年齢も50近くなり、日に日に望郷の念が抑え難くなっていった。

カエリタイ・・コキョウへ・・・ドウセツサマノモトヘ・・カエリタイ・・・


1600年「関が原の戦い」の時、増時とギン千代は徳川へつくことを主張しますが宗茂は却下。

宗茂は西軍に味方したので、増時は立花家中で孤立しました ポツーーン..._φ(・ω・` )

宗茂が西軍を選ぶメイン理由は「豊臣の恩義+旧主大友が西軍」だからなんだけど「増時(諫言するウザイ家臣)&ギン千代(不仲の妻)が徳川」と言ったのも多少は影響したかも^^;;

とはいえ宗茂の増時の武勇に対する信頼は揺らいではおらず、増時に本城・柳川城の留守を預けた。
(婚儀の時から縁のある増時が留守なら、ギン千代を宮永村から柳川城に呼び寄せたはず)

結局、西軍が負けたことで柳川13万石は取り潰しとなるのだが、柳川城明け渡しの後始末は増時が行っています。
(つまるところ やっぱり増時を頼りにしてた)


道雪のムコ養子・立花宗茂

増時の故郷・筑前には、福岡藩が立藩され黒田家が50万石で入る。

大藩になった黒田家では人手不足で人材を物色~~浪人となった増時に仕官の誘いをかけた。

増時は黒田家の申し出を受け、吸い寄せられるように嘗ての旧領だった筑前に入る。

ただし直接は仕官せず息子を仕官させた。待遇は中老(管理職)で領地は4000石。

そのほかに増時の故郷だった薦野(こもの)城付近を代官として預けるという超厚遇~~~

増時が道雪の菩提寺の世話をしたいと願い出ると、黒田家では了承。

黒田家は増時に隠居料の名目で、道雪菩提寺の維持費として200人扶持を与えた。

立花宗茂が浪人から大名として(最初は奥州・棚倉藩)復帰すると旧家臣が続々戻る。

だが増時と、その家族は戻らず、宗茂も声をかけてはいない。

亡き主・道雪の墓を誠実に守り続ける増時に、遠い東北に来いとは・・・とてもじゃないが言えない・・・ショボーン..._φ(・ω・` )


立花家紋

1612年10月20日に息子と結婚してた宗茂の妹が病死。

1620年6月には息子も病死。

息子夫婦の子供(つまり増時の嫡孫)も24歳の若さで病死。

領地の4000石は、増時の他の息子たちに分知(ぶんち=財産分与)され福岡藩士として続きます。

身内の不幸は勿論、一通りでない悲しみだ。

だが道雪の菩提寺を守ることに専念している増時にとって、宗茂との個人的な縁が切れる事は多少でも肩の荷を降ろせただろう。

1623年・・・増時は家族に看取られ81歳の大往生を遂げる。

増時の墓は亡き道雪の生前の許しの元で、念願通りに道雪の菩提寺・梅岳寺に埋葬された。

道雪の墓石の脇書には、家臣・増時の名前が刻まれた。

http://blogs.yahoo.co.jp/prizep1800/22749712.html
こちら、ZRX1200S秀さんの記事~梅岳寺・道雪と薦野の墓。

非の打ち所の無い名将・立花宗茂ですら、先代を慕い続ける増時の心を掌握できなかったのだ。

偉大な創業者のいる家の世代交代は、実に難しいと言わざるを得ない。

増時の祈りが籠められた梅岳寺は、柳川に移設されることなく今も福岡県にある。

次回はノブヤボ~~それは・またの話 by^-^sio

ブログ用画像~南洲さま
http://blogs.yahoo.co.jp/yuewannwann
兜・人物画像~橘朝臣幸麿さま
http://blogs.yahoo.co.jp/cfmjs676
家紋画像~ロンさま
http://blogs.yahoo.co.jp/kabiningen
相互リンク~ばんない様HPアドレス(戦国島津女系図)
http://shimadzuwomen.sengoku-jidai.com
参照先
(しいまんづ雑記旧録←戦国島津女系図の別館です)
URLが弾かれるので貼れません~興味ある方は検索してください^^;
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
653位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
111位
アクセスランキングを見る>>
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR