FC2ブログ

龍造寺家文書_112_大内義隆書状

用紙---切紙・・・儀礼上としては略式で、上位者から下位者への形式です。

緑文字---原文
※読み下し(てるつもり)
★超意訳または補足


去十一日、於諸口遂合戦、
※去る十一日、諸口遂に合戦に於いて
★去る十一日、あちこちで遂に合戦となりました。

敵数輩討[捕]之由注文到来、披見了、感悦此事候、
※敵数(あまた)の輩を討ち捕りの由 注文到来し、披見(ひけん)了(おわ)る、此の事 感悦候
★あまたの敵を討ち捕ったと注文(しるしふみ=報告)が来てたので、読み終わりましたが、このこと嬉しく思います(*´pq`)

毎度戦功無比類候、高名之至候、
※何時も戦功比類なき候、高名の至りに候
★いつも戦功が素晴らしくって(世間へも)名高いことでしょう^^/
基養父表事、切々可相動之由、加下知事候、猶刑部少輔可申候、恐々謹言
※基養父(=基肄養父・きやぶ)表の事、切々たる相動く可(べ)く之(の)由、加えて下知の事候、なお刑部少輔へ申し可く候、恐々謹言
★基養父(佐賀県鳥栖市)表の事で、切々働くとのこと、それに加えて下知(げち・命令)の事など、刑部少輔へ伝えます、恐々謹言

(天文十五年)
七月二十五日    (大内)義隆(花押)
龍造寺宮内大輔(胤栄)殿




書状は月日を記すだけで年度は書きません(年欠文書とも言います)
天文15年というのはシオ補足ではなく、佐賀県史料集成に収蔵された際に編集段階で記載されたものです。
龍造寺胤栄の活動期間、大内義隆の活動期間(花押と照合など)と併せて、北肥戦誌などの二次史料などから類推したものと思われます。

にしても一次史料が残ってたとはシランカッタ(@@)

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

戦国お歳暮御礼~龍造寺家文書_111_大友義鑑書状

時期的には早いが古文書の収蔵順です__φ(.. ) メモメモ

緑文字---原文
※読み下し(てるつもり)
★超意訳または補足




為歳暮之儀、太刀一腰、織筋一端、併鴈送給候、祝着候、
※歳暮の儀の為に、太刀一本、織筋一反、併せて鴈(ガン)送り給い候、祝着候
★お歳暮に、太刀と反物、雁(がん)贈って貰ってアリガト~~ゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノ

自是一振、表佳例候之趣、猶臼杵三郎右衛門尉可申候、恐々謹言
※是自(よ)り一振、表の佳例候の趣、なお臼杵三郎右衛門尉に申し可(べ)く候、恐々謹言
★お歳暮から(刀を)一本、表の佳例(=吉例)なんだよね。なお臼杵三郎右衛門に伝えときます。恐々謹言なぅ

十二月十五日   (大友)義鑑 (花押)

龍造寺民部大輔殿(龍造寺胤久)



織筋----横筋を太く織り出した絹織物でございますm(__)m
鴈------ガンorかり(現代では漢字は⇒雁)水鳥の総称で狩猟の対象でした。
(生け捕りか狩った後の獲物としてか、一羽なのか複数なのか、この書状のみでは不明です^^;)
臼杵三郎右衛門尉---臼杵鑑続

まぁ、見たまんまお歳暮の御礼です。
書状なんで年度は不明^^

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

戦国お中元御礼~龍造寺家文書_110_大友義鑑書状

緑文字---原文
※読み下し(てるつもり)
★超意訳または補足


書音、
※しょいん
★みたまんまです~意味としては、消息or手紙


殊太刀一腰金覆輪 織物一端 茶碗済々給候、喜悦候、
※殊(こと)さら太刀一腰(金覆輪)織物一反(赤地)茶碗済々(さいさい)給わり候 喜悦(きえつ)候(そうろう)
★とくに、太刀一本(金覆輪)織物(赤地)茶碗 とかとかたくさん貰っちゃって 超嬉しい!

【金覆輪】---きん ぷくりん~刀や鞍(くら)などの縁飾りの覆輪に,金または金色の金属を用いたもの


自是一振、表賀礼候之趣、猶入田丹後守可申候、恐々謹言
※是(これ)自(よ)り一振、表賀礼候の趣、なお入田丹後守へ申し可(べ)く候、恐々謹言
★この中の(太刀を)一振、表賀礼にいいかな~って、んと、入田丹後守に話しておくから!恐々謹言なぅ~

【表賀】---ひょうが、臣下から天子に文書を奉って祝いを申し上げること

七月廿六日    (大友)義鑑(花押)

龍造寺民部大輔 殿

※龍造寺胤久宛です
----------------------------------------------------------------------------------------
戦国お中元です(`・ω・´)キリッ
現在は新暦でしが、旧暦は7月15日に中元プレゼンツ~
この書状は、龍造寺から大友への中元に対する礼状です^-^

・・・と思う、、、他の目的で進物したとしても時期的に御中元に絡めるんじゃなかろーか( ̄ω ̄A;アセアセ


くどいようですが、書状は今で言うなら普通の手紙なので日付は書くけど年号は記載しないのね。
だから正確な年代は不明です。
でも1536年7月9日以降~1549年(1550年2月12日が義鑑没年月日)の間・・・と思う。

龍造寺家文書_107_大友義鑑判物で龍造寺胤久が1536年7月9日に領地安堵を受けているので、
流れとしては御礼と中元を兼ねて進物を贈ったんじゃないかな~~という推測。

没年月日だけは鉄板だから、1550年以降ってことはないけど。
まぁ、お中元した年号に関しては、他史料との比較が必要ですので、まだ断定できないですね^^

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

龍造寺家文書_45・少弐貞頼書状

ちょっと?遡ってます,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

緑文字---本文
※-------読み下し(たつもり)
★-------超意訳(爆



一日江上七郎方之御状、委細一見候了、
※一日 江七郎の御状、委細一見候おわんぬ
★一日に江上七郎の御状、詳しいことは一通り見終わったよ~

随而今度刻、一家合不儀之式、無是非候之慮、
※したがって今度、一家儀の式合わず、是非無く慮り候
★降参~~意味がワカラン~~

御分之事、無他事被致忠節候之条、神妙候(~繰り返し~)、
※御分別の事、他事なく忠節致られ候の条、神妙候、神妙候
★御分別の事や余念なく忠節を致すこと、感心、感心 (^ -)---☆Wink

巨細之趣、七郎可申候、恐々謹言
※巨細(こさい)の趣、七郎申し可(べ)く候、恐々謹言(結語につき見たまんま)
★大小こまごましたことは、(江上)七郎へ伝えておきます、恐々謹言^-^

十二月廿一日        (少弐)貞頼(花押)
※12月21日、書状には年度入れないの元号不明 
※少弐貞頼(1372-1404)南北朝時代~室町前期の少弐当主    

龍造寺六郎殿
※龍造寺康秀のことらしい
----------------------------------------------------------------------------------------

結論から言うと、少弐貞頼は龍造寺を頼りになる被官として、大事にしてたようです^^

宛名に殿って漢字で書くのは、敬意を払ってる証なんです^-^

ちなみに少弐貞頼さんは、戦死自害率が高い少弐氏の中で珍しく病死です。

が、30代という若さでの死亡だったので、このあと若年当主で大変なのネー(*´・д・)(・д・`*)ネー

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

龍造寺家文書_109_大友氏老臣連著書状

これは折紙(おりがみ※鶴ではない)でした。
折紙は堅紙(けんし・A4サイズ横使い)を半分に折って使うことから呼ばれ、略式の文書です。



追而
 ※ついじ・追って=追伸ってことです

御判地之内、不足分弐拾〔文字欠落〕事者、於下筑後之内、可被成御分別之由候、
 ※御判地の内、不足分20〔文字欠落〕事は、下筑後の内に於いて、御分別の由(よし)成る可(べ)く候、

在所柄等之儀申談、取合之儀、弥不可有無沙汰候、〔文字欠落〕上右馬允可被達候、恐々謹言
 ※所柄(ところがら)等の儀を申し談在(あ)り、取合(とりあい)の儀、弥(いよいよ)無沙汰有る可(べ)から不(ず)候、
 ※〔文字欠落〕上 右馬允へ達せらる可(べ)く候、恐々謹言、

(天文5年)八月廿八日       (入田親廉)丹後守(花押)
                     (山下長就)和泉守(花押)
                     (田北親員)大和守(花押)

龍造寺民部太輔殿

(奥上書)
「           田北大和守
            山下和泉守
            入田丹後守

龍造寺民部太輔殿          (入田)親廉 」

※シオ読み下し内の( )はシオ補足、本文内の( )は佐賀県史料集成編纂者による補足
★★★語句とか解説★★★★★★語句とか解説★★★★★★語句とか解説★★★

所柄(ところがら)---現代風なら「土地の重要事項説明」(*´pq`)クスッ
取合(とりあい)---納税の事です^^/

登場人物は重複してるので割愛

★★★感想とかとか★★★★★★感想とかとか★★★★

なんか不足分について言ってきてるwww
書状だから年度の記載がないですが、日付が奉書の二日後(8月28日)だから、同じ天文5年と史料編纂の段階で判断したようです。
奉書でも追而を出すって書いてましたしネー(*´・д・)(・д・`*)ネー

で、足りなかった20町分は下筑後で御分別(ごふんべつ)・・・つまり我慢してね♪←っと言ってる
下筑後のどこかまでは記載ないけど、80町が福岡県うきは市内だから、飛び地確定^^;
てか、肥前の龍造寺から見たら、うきは市自体が飛び地なのに、さらに20町が飛び地になるんです^^;;

本貫地から離れた領地を何か所も、龍造寺氏で管理するのって大変よネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
てことは、大友家の筑後直参衆に代行してもらうしかない。
そこで、所柄(土地の詳しい説明)や取合(納税)について相談しなきゃならず、
このあたり「申し談」が龍造寺側から在(あ)った・・・て事なんだろう。

判物は7月9日で一か月以上間があるから、「(奉書が届く前に龍造寺から)問い合わせ来ちゃったよ~」って事があっても不思議ではない^^;
んで、無沙汰(ぶさた)がないように右馬允に連絡した~・・・って感じの意味だと思う。

奥上書は日付の次に差出者が署名・花押する文書様式で、上位者から下位者へ出すときの様式です。
まぁ、キング大友の老臣ですから基本として上から目線なのですが、
宛名である龍造寺胤久に対し敬称である「殿(しかも漢字)」を用いているので一定の敬意を払ってます^-^

末尾の「  」は書状を包んでた封に書いてのだと思いますが、ちょっと自信ない^^;
残り20町が何処に決定したのかまでは、文書が残ってないので判りません。
この筑後国内における龍造寺領の、その後も判らないな~筑後関連のデータ見るときに地名に留意します^^;

実は、今回の一連の古文書は堀本一繁氏の「論文:龍造寺氏の戦国大名化と大友肥前支配の消長」で
「肥前国衆への軍事動員の事実と、その服属化を裏付けるもの」として典拠として挙げてる古文書なんです。
ちなみに論文では、20町不足してた事には触れてません,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

数か月前に論文を読んだときは「軍事動員の事実」が???だったんだけど、スパンを数年単位にすれば動きがあったっぽい。
天文年間前半の大内VS大友は、北九州全体で軍事活動は凄い活発だったんで、その全体で俯瞰すると「軍事動員の事実」が含まれる・・・かな?
最近、入手した論文で(書いたのは違う人)それらしい事を書いてるんで、いま手持ち年表データと比較検証中です( ̄ω ̄A;アセアセ

自分が古文書の勉強や読み下しを始めて約3カ月^^;
まだ安堵関係の短い文書だけだけど、やっと分析できるレベルまで読み込みできるようになってきた。
その分だけ己の過去の未熟さに気づくわけで・・・(滝汗)・・・ま、仕方ないですよね・・・自分、ガン( ゜д゜)ガレ

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
490位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
92位
アクセスランキングを見る>>