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渋谷氏_2【入来院(いりきいん)】

いんいんいん~~川* ̄д ̄*川ポッ 
リサーチが追い付いてない俄か知識ですので、さら~っと行きます^^

まずはコチラ~はいドン (*´∀`)ノ 薩州家と渋谷エリアイメージ
赤文字で書いてる部分が渋谷一族です^^
渋谷ファミリアにも触れるつもりだったから、ちゃんと見分けできるようにしといたのよネー(*´・д・)(・д・`*)ネー

薩州家シリーズで触れたドン久豊(奥州家)と総州家との争い(室町中期の話)
この時も渋谷ファミリアは同族で敵味方で、くんずほぐれつ~~ちと覚えきれません(@@)
結論から言うと「東郷氏、祁答院氏、鶴田氏、入来院氏、高城氏」のうち、鶴田氏が没落するのはこの時なんです。
(敗者の総州家に味方してたから)
没落した鶴田氏は、菱刈氏の元へ逃げたそうですが、その後はシオでは辿りきれませんでした。

んで、脳に浸透してない部分をスッ飛ばして入来院(いりきいん)氏です。

戦国中期にさしかかるころ、薩摩は三派閥に分裂しました。
・宗家==周りを振り回して自分はイイとこどりしたい復権した島津勝久
・薩州家==守護代の家柄、分家筆頭の若き当主・島津実久
・伊作家==相州家を吸収しパワーアップ、日新斎と貴久の親子鷹~

で、薩州家・実久が 遊興に耽って家臣に見限られた勝久を追い出す o( ̄Д ̄θ★ケリッ!

自分が面白いな~~~と思うのは、伊作島津と入来院氏が同盟関係だったことです。
11代目・入来院重聡の娘を「是非、当家に輿入れを(-人-)☆彡オネガイ!」と強く要望したのは、伊作の日新斎だったそうです。
入来院重聡は「三つに分裂した島津氏」のなかで伊作サイドにつき、その覇業を支え続けました。

入来院重聡の娘・・雪窓夫人。
夫である貴久とは仲睦まじかったようで、義久・義弘・歳久を伊作城で生んでます。
渋谷ファミリアの血脈が、島津DNAに組み込まれていると思うと感慨深い・・・(==)
庶子である四兄弟末弟・家久は、雪窓夫人が没してから誕生してるので、彼女の生存中は貴久は側室を設けてなかったようです。

長男の義久は嫡母である雪窓夫人を敬慕していたようで、彼女の三十回忌に義弘・歳久との連名で菩提寺である雪窓院を建立してます。
さらに後年、秀吉に降伏する際にも他の島津所縁の寺をスルーし、雪窓院で剃髪したそうです。
(参照:サイト「戦国島津の女たち」)

歴史上高名な島津四兄弟のうち、三人も生んだ功労者・雪窓夫人ですが、
入来院氏と伊作島津のパイプ役としても重要な役割をはたしていたらしく、彼女が生存中は入来院との関係は非常に良好でした。
不協和音は雪窓夫人が没した天文13(1544)年から起きます。
当主は雪窓夫人の兄・重朝でしたが、同じ渋谷ファミリアで敵側の東郷氏・祁答院氏に与して叛乱するという噂が立ちます。
重朝は貴久へ弁明したが聞き入れられず、出仕停止を言い渡された上に、翌年の8月に城を召し上げられてしまった。
これを恨んだ重朝は貴久に反旗を翻します。

このあたり・・・・夫人が没して俄かの謀反の噂・・・ってのが、どうも陰謀臭いような気が・・・ (-ω-;)ウーン
伊作島津と入来院は同盟関係でした。
が、島津貴久が宗家当主、三州守護となった以上は、これまでのような同盟関係ではなく、被官として関係性を質的変化させなければなりません。
それは例えば薩州家が勝った場合でも同じです。宗家争奪戦において国衆と同盟の縁組してましたから。
この関係性の質的変化は、屈服させた敵側より「昨日までの味方であった同盟関係」の方が、むしろ難しいんです。

菱刈と相良は、同盟関係から被官関係へと質的変化に成功しました。
が、島津の複雑な情勢では、単純にはいきません。
入来院との軋轢は、島津貴久が宗家争奪戦の勝者となった瞬間から、いつかは起きる必然のようなものです。

壮絶な同族内の争いの勝利のあと、
島津貴久の眼前にあったのは「当主権を確立するまでの死山血河の茨の道」。

島津の内部統制が最終的に落ち着くのは江戸初期、貴久の孫の代になるまでかかりました^^;

入来院が降伏したのは、重朝の息子で13代目・重嗣の代でして、
降伏を受け入れた宗家も、当主は貴久ではなく義久に代替わりしてます。
関係性の質的変化に失敗すると、かつての同盟相手は《今まで支えてきたのに酷い!》って、
「糟糠の妻」気分だから余計に拗れて長引くのよネー(*´・д・)(・д・`*)ネー

まぁ薩摩・大隅の国衆はエネルギーが有り余ってる分、ガス抜きが大変でして主に拗れます,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
簡単ですが、入来院はこれくらいで、次・萌える祁答院(けどういん)~~'`ァ'`ァ'`ァ(;´Д`)'`ァ'`ァ'`
それは・またの話 by^-^sio

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

渋谷氏_1【渋谷ファミリア♪】

もとい、渋谷四氏です(´・д・`)

今まで記事にしてたのは、薩州家と菱刈と相良の複雑な相関関係の・・・実はベース部分なのです。
さらに上級(コア郷土史)コースに入るにあたり、何から話そう~(-ω-;)ウーン(-ω-;)ウーン
と悩み、やっぱ、ここらあたりで渋谷一族を登場させておかねば・・・φ(.. ) と思った次第。

渋谷一族のベースデータは、既に監修様から頂いてたんですが、自分のリサーチが追い付かず未だ理解しきれていません。
だからザックリとした話になりますが、どうしても現在これ以上の時間捻出は無理なので、そこは御了承下さい。

渋谷氏はスタートは相模国。
で長男が本貫地・相模国渋谷荘を相続し、残りの弟たちが薩摩国にあった領地を、それぞれ相続し薩摩へと移住しました。

薩摩渋谷氏===薩摩東郷氏、祁答院氏、鶴田氏、入来院氏、高城氏。
このうち戦国期まで生き残った「東郷、祁答院、入来院、高城氏」を渋谷四氏と総称しています。

で、何で渋谷一族が薩州家と菱刈と相良に絡んでくるかというと、はいドン (*´∀`)ノ 薩州家エリアイメージ

薩州家は渋谷四氏のうち、東郷・祁答院(けどういん)・入来院(いりきいん)と領地が隣接してるんです。
てか、宗家エリアと薩州家エリアの間に渋谷ファミリアが挟まってる^^;

薩州家誕生から始まる宗家との確執に、御近所国衆・渋谷一族が巻き込まれないはずがありません。
ちなみに渋谷一族は同族として婚姻関係だったりはしてますが、いわゆる宗家と分家としての統一性はありません。
ぶっちゃけ渋谷四氏は個々に動き回ってるんで、現在のシオキャパでは扱いきれません(´;ω;`)ウッ

ちなみのちなみに・・・国衆オタクなんで渋谷一族のファンです^^
それで何時か本腰いれようと、早々にデータだけは貰ってたんです(*´pq`)
何が好きって~~祁答院ですよ。入来院ですよ。
いんいんいん~ネーミングがカッコ良くね?川* ̄д ̄*川ポッ 
(※東郷氏は別の理由で好きだけどネタバレになるんで今は内緒)

で・・・・今まで内緒というか、登場させる余力がなかったというか~~
島津貴久の継室は入来院氏から迎えてまして・・・
(初めの妻は結婚後、ほどなく死別)
高名な島津四兄弟のうち、義久・義弘・歳久の生母は入来院から嫁いできた姫様なのです^-^

貴久の婚姻時期は不明ですが、長男の義久が天文2(1533)年2月生まれなので、その前です。
てことは宗家・島津勝久が伊作島津を裏切り守護職に復帰した頃で、伊作島津氏が苦境にたってた事です。

このことから判るように、渋谷四氏のうち入来院氏は伊作島津の味方をし、日新斎と貴久親子を支え続けてきました。
(※入来院は元々から弱体化してた島津宗家を支えていた国衆でした)
貴久継室が死去するのは、天文13(1544)年8月15日なんですが、その後から入来院との関係が怪しくなるんです。

いんいんいん~~渋谷ファミリア♪萌えバナは続く・・・それは・またの話 by^-^sio

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【系図上人物一覧】

●東郷
・初代・実重~渋谷光重の次男(婿養子。妻が光重の娘。)。実は紀平三武者実直の子。母は渋谷重国(祖父)の娘・又鶴。

・2代・忠重~実重の嫡男。承久の乱で戦功。

・3代・重高~忠重の嫡男。弘安の役で戦功。

・4代・頼重~重高の嫡男。妻は寺尾重道の娘・竹鶴。

・5代・重親~頼重の嫡男。弘安9年生まれ。別名:忠重。徳治3年9月23日、淵脇山の土穴に入り憤死。

・6代・氏親~頼重の次男。別名:重清・重幸・氏重・氏清・武重・重年。妻は島津忠宗の娘・経阿
・-----重勝~氏親の長男。穴野氏の祖。
・-----重将~氏親の三男。入来院庶子惣領家。
・-----宗定~氏親の四男。
・-----重頼~氏親の五男。白男川氏の祖。
・-----頼賢~氏親の六男。野久尾氏の祖。
・-----正重~氏親の七男。二渡氏の祖。
・-----重隆~氏親の八男。糟毛田氏の祖。
・-----実久~氏親の九男。川原氏の祖。
・-----右治~氏親の十男。石坂氏の祖。

・7代・右重~氏親の次男。母は経阿弥。別名:重喜・実久・助重・祐重。
・-----重貫~右重の次男。白浜氏の祖。

・8代・重元~右重の嫡男。別名:重信。
・-----重世~重元の次男。鳥丸氏の祖。

・9代・重明~重元の嫡男。

・10代・重隆~重明の嫡男。

・11代・重信~重隆の嫡男。別名:重述。

・12代・重理~重信の嫡男。妻は薩州家島津国久の娘。
・------重信~重理の次男。別名:重誠・重貞。

・13代・重信~重理の嫡男。母は島津国久の娘。文明11年9月13日没。

・14代・重朗~重信の嫡男。別名:重朝。妻は入来院重聡の娘。

・15代・重治~重朗の嫡男。別名:重張。

・16代・重尚~重治の養子。菱刈重州の三男。別名:重綱。妻は相良長滋の娘。島津氏に降伏し、元亀元年1月5日に領地を献上。天正13年没。

・17代・重虎~重尚の養子。島津家久の次男。母は樺山善久の娘。後に島津氏に復姓。別名:忠直・忠仍。元和7年5月29日没。

●祁答院
・初代・重保~渋谷光重の三男。別名:重直。鶴田柏原に下着し柏原と号する。
・-----朝重~重保の嫡男。吉岡と号する。大前氏と戦い戦死。
・-----経重~朝重の子。中津川氏の祖。
・-----惟重~重保の次男。中津川貞重後嗣。

・2代・重尚~重保の三男(養子)。祖父・光重の嫡男・重直の子(一説に朝重の次男)。吉岡と号する。
・-----将重~重尚の嫡男。吉岡と号する。

・3代・重松~重尚の養子。惟重の子(一説に惟重の弟)。

・4代・行重~重松の養子。大井頼郷の子(中津川重雄の別腹の弟)。建武2年2月29日に蒲生で没。

・5代・重実~行重の嫡子。貞治元年6月12日没。
・-----重氏~重実の次男。久富木氏の祖。

・6代・公重~重実の嫡子。別名:重成。平川城主。平川と号する。

・7代・重茂~公重の嫡子。別名:重氏。応永22年11月2日没。
・-----重近~重茂の嫡子。山崎氏の祖。
・-----重義~重茂の次男。大村氏の祖。
・-----延重~重茂の三男(一説に重茂の弟)。応永27年1月1日没。
・-----重基~延重の次男。蘭牟田氏の祖。

・8代・久重~重茂の養子。延重の嫡子。別名 :重久。永享4年1月11日没。
・-----諸重~久重の次男。大村氏の祖。

・9代・徳重~久重の嫡子。寛正5年6月15日没。
・-----(女子)~徳重の娘。長禄3年、虎居城(後の宮之城)下の八女瀬で没。

・10代・重慶~徳重の嫡男。別名:重度。

・11代・重貴~重慶の嫡子。別名:重隆。妻は入来院重聡の娘。
・-----清重~重貴の次男。別名:重清。
・-----重隆~清重の子。湯田氏の祖。

・12代・重武~重貴の嫡子。永正元年生まれ。享禄2年に帖佐城・山田新城を併領。天文7年7月23日没。
・-----重朝~重武の次男。黒木流。

・13代・良重~重武の嫡子。大永6年生まれ。永禄9年1月15日に妻に刺殺され没。妻は島津実久の娘(諸説)・虎 姫。
・-----重経~良重の嫡子。天文7年生まれ。母は虎姫。田中と号する。天文23年10月2日に岩剣城の戦いに於いて帖佐高樋で戦死。
・-----(女子)~良重の娘。天文10年生まれ。母は虎姫。天文23年没。

●鶴田
・初代・重茂~渋谷光重の四男。別名:重諸。大谷と号す。承久3年、宇治川で戦死。
・-----為重~重茂の次男。谷口氏の祖。
・-----重光~重茂の三男。

・2代・重行~重茂の嫡男。
・-----経重~重行の次男(一説に重成(4代?)の子)。
・-----文重~重行の三男。
・-----重朝~重行の四男。
・-----重頼~重行の五男。
・-----重俊~次男経重の子。
・-----重信~重俊の子。湯田氏の祖。

・3代・頼重~重行の嫡男。

・4代・重成~頼重の嫡子。

●入来院
・初代・定心~渋谷光重の四男。建長6年2月4日没。
・-----重純~定心の長男。別腹。楠元氏の祖。
・-----重経~定心の三男。寺尾氏の祖。
・-----重賢~定心の四男。
・-----重経~重賢の嫡男。
・-----重世~重賢の次男。中村氏の祖。
・-----範幹~定心の五男。別名:範重。倉野氏の祖。

・2代・明重~定心の次男。建長2年10月20日に入来院惣領職。文永3年4月2日没。
・-----篤重~明重の庶長子。山口氏の祖。
・-----重高~明重の三男。
・-----有重~明重の四男。文永2年8月3日、清色郷を譲り受ける。弘安4年6月29日戦死。妻は島津氏の女。
・----- 致重~明重の五男。弘安の役で戦死。
・-----静重~明重の六男。別名:重静。
・-----重知~静重の子。妻は高城重棟の娘。
・-----重尚~明重の七男。弘安の役で戦死。

・3代・公重~明重の次男。文永2年に惣領職。
・-----長徳丸~公重の嫡男。早世。
・-----祐重~公重の三男。曽司と号した後、岡本と号す。

・4代・重基~公重の次男。興国6年11月26日に所領譲与。妻は到重(致重の誤記?)の娘・弥陀童女。

・5代・重勝~重基の養子。重知の子。母は高城重棟の娘。正平4年閏6月23日に所領譲与。
・-----重宗~重勝の庶長子。別名:重成。村尾氏の祖。
・-----養庵~重勝の三男。
・-----坂本 坊~重勝の四男。
・-----重次~重勝の五男。江河と号する。子孫は東郷と号する。
・-----重継~重勝の六男。(系図に実弟とあり、重門と同腹との意か?)
・-----牢山~重勝の七男。実は従兄。寿昌寺の第十世住持。峯ヶ城で戦死。

・6代・重門~重勝の次男。文中元年6月23日に高江峯ヶ城で戦死。妻は島津氏の女。
・-----重良~重門の次男。下村重氏の養嗣子に。
・-----長王~重門の嫡女。
・-----虎絵~重門の次女。
・-----栗犬~重門の三女。

・7代・重頼~重門の嫡子。建徳2年10月15日に家督。永享元年10月9日没。
・-----越前守~重頼の次男。副田と号す。

・8代・重長~重頼の嫡男。応永13年11月15日に家督。康正2年8月26日没。妻は島津氏の女。
・-----(女子)~重長の嫡女。下村重秋室。
・-----山城守~重長の次男。
・-----左馬助~重長の三男。
・-----(女子)~重長の嫡女。大村諸重室。
・-----(女子)~重長の次女。蘭牟田河内守室。
・-----(女子)~重長の三女。蒲生清寛室。
・-----宮内少輔~重長の四男。

・9代・重 茂~重長の嫡男。応永30年8月16日家督。妻は東郷氏の女。文亀元年閏6月2日没。

・10代・重豊~重茂の嫡子。嘉吉元年2月27日に家督。文亀元年閏6月2日没。妻は北原貴兼の娘。
・-----(女子)~重豊の嫡女。高城重隆の室。

・11代・重聡~重豊の嫡子。延徳2年8月21日に家督。天文年中病没。妻は白浜重秀の娘。
・-----(女子)~重聡の嫡女。東郷重明の室。
・-----(女子)~重聡の次女。高城重弼の室。
・-----(女子)~重聡の三女。島津貴久の室。
・-----平太次郎~重聡の次男。
・-----重貞~重聡の三男(養子)。実は高城重隆の次男。後に本姓に復し、入来院庶子惣領家を興す。

・12代・重朝~重聡の嫡男。母は白浜重秀 の娘。百次・隈之城・宮崎を加領。年不明(天文15年以降)の7月16日没。
・-----重郷~重朝の次男。副田氏の祖。
・-----重治~重郷の子。
・-----重博~重朝の三男。岡本重堅の養子となる。
・-----右馬允~重朝の四男。

・13代・重嗣~重朝の嫡男。別名:重副。島津氏に降伏し、元亀元年1月5日に領地を献上。12月2日没。
・-----(女子)~重嗣の嫡女。重郷の子・重治の室。
・-----又六~重嗣の次男。
・-----重載~重嗣の三男。重朝三男の子・岡本重博の養子となる。
・-----(女子)~重嗣の次女。高城重説の室。

・14代・重豊~重嗣の嫡男 。母は肝付兼興の娘。天正11年8月5日没。妻は島津忠将の娘。

・15代・重時~重豊の婿養子。島津以久の次男。母は北郷時久の娘。天正元年生まれ。関ヶ原より退却の9月23日に戦死。

●高城
・初代・重貞~承久三年に戦死。
・-----重公~重貞の次男。知覧流の祖。
・-----将重~重貞の三男。
・-----重豊~重貞の四男。

・2代・重秀~重貞の嫡男。
・-----得位分~重秀の次男。
・-----重仲~重秀の三男。弘安の役に於いて壱岐で戦死。

・3代・重郷~重秀の嫡男。鎮西引付衆。従五位下。
・-----重名~重郷の次男。
・-----重春~重郷の三男。暦応4年に祁答院押領。
・-----重棟~重郷の四男。鎮西引付衆評定。居城の祁答院湯田城を鶴田経重に奪われる。

・4代・重藤~重郷の嫡男。別名:重勝。鎮西引付衆。
・-----重氏~重藤の次男。
・-----三郎~重藤の三男。坂河三郎重通か?

・5代・重雄~重藤の嫡男。大河と号する。鎮西引付衆評定。従五位下。
・-----重躬~重雄の次男。貞治3年に湯田天神を創建。

・6代・義重~重雄の嫡男。

・7代・重豊~義重の養子。実父は重躬。
・-----重貴~重豊の次男。大口流の祖。
・-----重興~重豊の三男。

・8代・重令~重豊の嫡男。
・-----重頼~重令の次男。
・-----重持~重令の三男。

・9代・重継~重令の嫡男。妹背城から水引城へ移る。

・10代・重珍~重令の四男。重継が水引城へ移った後の妹背城主か?

・11代・重頼~重珍の嫡子。妹背城を失し水引城へ移るも、水引城も失う。
・-----重兼~重頼の次男 。嘉吉元年生まれ。雪舟門下で画号は秋月。享禄2年没。

・12代・重政~重頼の嫡子。

【年表:祁答院・入来院・東郷・高城】1401~1570年

1401 応永八年
祁答院氏:第二次鶴田合戦にて鶴田氏が敗走。大村出羽守(重続?)が鶴田にて戦死。

1403 応永十年
入来院氏:渋谷重頼、島津元久より鹿児島郡武村と揖宿郡成河村を与えられる。

1405 応永十二年
東郷重元が次男の重世に鳥丸村を譲り、重世は鳥丸氏を称する。

1409 応永十六年
島津元久、薩・隅・日の守護となる。

1411 応永十八年
入来院氏:渋谷重頼と嫡子・重長(8代)、清色城を奪回する。

1415 応永二十二年
高城氏:高城重雄(5代)、弟の三郎(4代・重藤の三男。坂河重通か?)により敗走。高城氏は高城を失う。

1419 応永二十六年
入来院氏:渋谷重長が島津忠朝を永利城に攻める。

1422 応永二十九年
島津久豊が奈良美作守(久豊臣下で揖宿領主)に東郷を討たせる。

1440 永享十二年
入来院氏:塔之原で樋脇氏が台頭、勢力を振るう。

1459 長禄三年
祁答院徳重(9代)の娘ら、川内川で溺死する。

1462 寛正三年
入来院氏:渋谷重豊(10代)が島津立久より火同・永利・山田城を充行われ、入来院を名乗る。

1482 文明十四年
東郷重理(12代)・祁答院重慶(10代)・入来院重豊・菱刈道秀・北原立兼らが島津氏討伐を謀る。

1484 文明十六年
東郷重理・祁答院重慶が水引城を攻める。
東郷重理・島津忠昌・入来院重豊ら、山崎牧の峰に陣を置き、祁答院重貴(11代)を攻める。

1485 文明十七年
文明の大合戦が起こる。東郷重理が島津忠兼と山田に戦う。
島津忠昌が蘭牟田城を攻略。祁答院氏が大村城を攻撃、大村は祁答院重慶の所領となる。

1486 文明十八年
島津忠昌、隈之城に陣して東郷を討つ。

1504 永正元年
東郷重朗(14代)、島津忠治に忠節を尽くし、水引を拝領する。この頃、東郷流高城氏が起こる。

1510 永正七年
入来院重聡(11代)が島津忠治より、隈之城を与えられる。

1529 享禄二年
祁答院重武(12代)が帖佐本城・山田城を攻略し、姶良進出を果たす。
入来院重聡が島津実久と戦い、百次・山田以西の城邑を攻略。

1532 天文元年
入来院重朝(12代)、平佐城を攻略。

1536 天文五年
入来院重聡、島津勝久より百次城を与えられる。

1537 天文六年
入来院重聡、島津貴久を応援し伊集院竹山城を攻略する。

1539 天文八年
東郷重治(15代)、水引城を攻略。
市比野宇都の前園屋敷に於いて、島津貴久・入来院重聡の会見が行われる。

1545 天文十四年
東郷・祁答院・入来院、郡山城に叛き敗れる。

1549 天文十八年
東郷・祁答院・入来院、島津貴久に謝罪する。

1554 天文二十三年
祁答院良重(13代)の嫡男・重経が10月2日、岩剣城の戦いで島津氏に敗れ戦死。良重は帖佐城を島津貴久に攻められ、姶良地方より撤退する。

1557 弘治三年
東郷重治、阿久根大川で島津義虎と戦い勝利。
島津貴久に蒲生城を攻められ、蒲生範清が祁答院良重を頼って松尾城へ逃れる。

1566 永禄九年
祁答院良重、虎居城に於いて夫人に刺殺され、祁答院氏断絶。入来院重豊(14代)が祁答院を領する。

1568 永禄十一年
6月18日、東郷重尚(16代)、島津義虎と阿久根で戦う。義虎側63人が戦死する。

1569 永禄十二年
8月18日、阿久根深迫村にて東郷と合戦。
義虎方・村尾安房守重利が弓にて東郷の家老・白浜上総介重陣の股に矢を射当て、馳せて首を取らんとしたが重陣は尚も戦い、所々手負いとなるも遂にその首を討ち取った。
このとき東郷方の者共83人が討ち取られる。

1570 元亀元年
1月5日、東郷大和守重尚ならびに入来院石見守重副が、押領していた地を進上し降参したため、居城は返してそれ以外は召し上げた。
百次・平佐・隅ノ城・宮里・天辰・碇山・高江は入来院より進上、中郷・高城・水引・湯田・西方を東郷より進上。
東郷重尚には島津貴久より東郷を与えられ、入来院重嗣には入来院が与えられ、高城・水引・湯田・西方・京泊は島津義虎に与えられる。

【祁答院氏(渋谷光重次男家】1400年まで

1288 正応元年 
祁答院氏:渋谷重松(行蓮:祁答院3代)が弟・斑目泰基(聖蓮)に柏原河口野を譲る。
(渋谷重松は祁答院3代で、2代・重尚の次男。但し、一説に養子で、実父は重尚の次兄・惟重(後述)とも)

1297 永仁五年 
祁答院氏:渋谷行重(祁答院4代)松尾寺(後に興全寺)創建。

1300 西安二年 
祁答院氏:渋谷惟重、一野・河床・中木庭・黒木・中津川を領有し中津川氏を称する。
(惟重は祁答院初代・重保の次男で、2代・重尚の次兄(重尚は三男)。但し、系図上での中津川の祖は重尚の長兄・朝重の子・経重)

1317 文保元年 
祁答院氏:沙弥円仏(祁答院4代・行重)が、中津河村を子の道海(祁答院5代・重実ではない模様)に譲る。

1333 正慶二年/元弘三年 
祁答院氏:渋谷重利(5代・重実?)祖父・惟重重代相伝の一野・河床・中木庭・黒木・中津川を入来院重勝(入来院5代)に引き渡す。

1336 建武三年/延元元年 
祁答院氏:大村太郎、祁答院氏族・吉岡将重に攻められ大村城落城。滝聞城へ退く。
(吉岡将重は、2代・重尚の嫡男。大村氏は、大前氏支族と祁答院氏支族の二系統あり、太郎は大前支族)

1357 延文二年/正平十二年 
祁答院氏:島津氏久、吉岡将重を大村城に討ち落城。平田親宗(一説に本田氏)が城主となる。

1380 康暦二年/天授六年 
祁答院氏:この頃、重茂(7代)の次男・重義(8代・久重の次兄)が大村城に在城、大村氏を称する。

1395 応永二年 
祁答院氏:大村義重、鶴田合戦で戦死。

1400 応永七年 
祁答院氏:祁答院延重(7代・重茂の三男で8代・久重の兄)の次男・重基が蘭牟田を領し蘭牟田氏を称する。 
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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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