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龍造寺家文書_117_木庭教心城統勝連著書状(折紙)

原文
※読み下し(てるつもり)
★超意訳

肥後国中之様躰、以ケ条(城)親賢被仰遣候、
肥後国中の様躰(ようたい) ヶ条を以(もっ)て城親賢へ仰せ遣わらせ候、
肥後国中の有様 仰せ・・言われた数ヶ条を城親賢へ伝えました

兼日之覚悟無緩疎之趣、
兼ねての日の覚悟 緩疎(かん_そ)無き趣き
兼ねてよりの覚悟は 緩(ゆる)み疎(おろ)そかな事はありません

既飜寶印裏■淺被申入候、
既に法印の裏を翻し 浅から不(ず)申し入られ候
既に起請文を書いて申し入れました。

於様躰者、彼御使僧可有演説候、可得御意候、恐々謹言
様躰(ようたい)に於いて者(は)、彼(か)の使僧が演説有る可(べ)く候、御意を得る可(べ)く候、恐々謹言
(肥後国の)様子・有様については、かの使僧から話があることでしょう。御意・・・お心に叶うようにします。恐々謹言


(天正九年カ)三月十七日            
                       城主計助統勝(花押)
                木庭隠岐入道教心(花押)


(奥上書)
「(龍造寺)隆信公
            貴報」


  

貴報(き_ほう)
お知らせって事なんですが「貴」をつけることで相手を敬ってるんです。
現代のビジネス用語でも「貴社」って貴をつけてるのと同じです^-^
飜寶印裏(寶(宝)印の裏を翻(ひるがえ)し)
定型文で「起請文を書くこと」を指します。
牛王宝印(ごおうほういん)と版刻(はんこく)された料紙の裏を使って書くことから、そういう言い回しをするようになったんです^-^
既・・とるので、もう書いてますよ~ってことです(^ -)---☆Wink


歴代鎮西志・下巻・216頁に、上記両名が「龍造寺へ神文(起請文)を提出した」という事が書かれています。
後半に出てくる龍造寺家文書で、城親賢が同日に起請文を提出しているので、歴代鎮西志の記述はソレを指していると思われます。

で、連盟で隆信宛に書状を出した城主計助統勝と木庭隠岐入道教心は、熊本県玉名市(旧玉名郡天水町)所縁の武将です。
両名に関しては別に記事にします^-^

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

龍造寺家文書_118_城親賢書状(断道・折紙)

原文
※読み下し(てるつもり)
★超意訳

前回の切れた部分が・・・伯州(伯耆顕孝)存分之儀、
※(伯州(伯耆顕孝)存分の儀)
★(伯州(伯耆顕孝)の事ですが)

(前闕、第116号文書ヲ受クルモノノ如シ)
直被申入候之間、不及口能候、
※直(じか)に申し入れ被(ら)れ候之(の)間、口能(こうのう=斡旋)及ば不(ず)候、
★直接に申し入れられている間は、斡旋するのは難しいです。

旁態以一人申展候之条、閣重筆候、恐々謹言
※旁(かたわら)で 態(わざと)一人以て申し展(ひら)く候の条、重閣筆候、恐々謹言
★こちらで1名を立てて、申し展(ひら)きします。閣重筆候、恐々謹言



(天正九年カ)三月十七日        越前守 親賢(花押)

龍造寺殿
      御報
←お知らせ

閣重筆候----閣筆(かく_ひつ)は筆を終える事を意味するので、「恐々謹言」同様に「書止文言」の定型文節と判断しました。




[態以------恐々謹言]で終わる定型文があったのを見っけ~~
どうやら、この書状は定型文をアレンジしてるみたいです ( ̄ω ̄A;アセアセ

で、この書状は城親賢が「龍造寺殿」宛に出した書状です。
「殿」の敬称はついているものの、官位や通称名を記載していないので、龍造寺一門の誰を指しているのか判りません。
ですが、正式な書状である「堅紙」ではなく、儀礼上で略式になる「折紙」を用いてるので相手は龍造寺隆信本人ではないと推察できます

年欠書状ですが、肥後の状況と城親賢の死亡時期を鑑みて、史料集成編集で付記が入ってました。

なにやら緊迫してそうだなぁ |肥後|_ ̄)じぃー
前後の政治状況は、ゆっくり調べよう♪

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

龍造寺家文書_116_城親賢書状(断簡・折紙)

【断簡_だん‐かん】きれぎれになって残っている文書・書簡



原文
※読み下し(てるつもり)
★超意訳

為當国中一着、近々可為御出張之段、
※當(当)国中へ一着の為、近々 御出張之段 為(な)す可(べ)く
★当国に着手するんで、近いうちに出張を為さるとの事

以ケ条預御入魂候、乍案中
※ケ(箇)条を以(もっ)て預け御入魂候、案中乍(ながら)
★幾つかアイデアを預けようと考え、思案中なんです~

連々之首尾悉顯然候之条、自他之覚畏存知候、
※連々(れんれん)たる首尾 悉(ことごと)く 顕然(けんねん)候之(の)条 自他畏れ覚え存知候
★これまでの首尾は 全て明らかになり 自分も皆も畏れを感じてます

愚意之旨銘々至御使僧遂細達候、
※愚意の旨 銘銘 御使僧へ細に遂げ達し至し候 伯耆顕孝の存分の儀
★愚意(ぐい)=自分の考えは 銘々(めいめい)=それぞれ 使僧に仔細を伝えるように連絡しました。

伯州(伯耆顕孝)存分之儀、
※伯耆顕孝の存分の儀
(後闕、第118号文書ニ続クモノノ如シ)




城親賢あてって事は、着手する国って肥後のことかしらん~
となると、隆信の肥後侵攻の時期・・・天正9年か?
伯耆顕孝・・・宇土名和氏6代名和顕孝です。伯耆守(ほうきのかみ)なので伯州と呼称されてました。


文書は、ここで切れちゃったみたいです。
で続きは龍造寺家文書118号に続くようです。

ぶっちゃけ、これだけじゃサッパリ判らん il||li _| ̄|○ il||l
研究は戦国初期なので今は無理~~前後の状況は後日再リサーチします(´・д・`)

テーマ : 歴史
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プロフィール

時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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